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川のせせらぎを辿って
〜 番外編「麻布のヘラで異次元体験」 〜
黒須雪子 (Yukiko Kurosu) について
釣りはフナに始まりフナに終わるという格言があるが、フライマンの皆さんはヘラ鮒をやったことがありますか?「爺さん婆さんがふたりでやってる、それはそれは風情のあるすんごい釣り堀が、しかも麻布の真ん中にあるんです」少年時代に通ったというヘラ鮒名人が教えてくれた。 300人が参加するジュニアトーナメントで準優勝の経験があるらしい。初めてのヘラ鮒釣りは、是非その「それはそれは風情のある釣り堀」でやらせていただきたく、ご自身も実に久々となつかしむ名人に連れて行ってもらった。 ヘラというのは、あまりにもオタクワールドすぎて(十分オタクなフライを棚に上げて言わせてもらえば)これまで特殊で近寄りがたいイメージしかなかった。ところが近頃、そんなヘラ鮒釣りの奥義に触れてみたいと思うようになった。 なぜか。回りがあっさり答えてくれた。「黒須さん、トシですよ。オヤジ入ってます。」 さて、東京は南麻布の四の橋を入った辺り、坂道と昔ながらの閑静な町並みの一画、小学校の隣に、その釣り堀はあった。その名も衆楽園。 なんと創業80年、大正時代から続く釣り堀だそうだ。その辺り一帯が麻布山、そして麻布山系の湧き水が今もそこかしこに湧き出しているというから麻布といってもそこだけ秘境という感じ。 そんな湧き水のひとつが麻布池、つまり衆楽園というわけだ。入口に英語の看板、さすが麻布だ。 まず仕掛けの整った竿を貸してもらう。どこがいいかと問われて好きな場所を示すと、おばあちゃんが池のへりの板敷きに座布団を二枚、ポイポイッと投げてくれるのに、まずは驚かされた。
そして名人があたり前のように靴を脱いで座布団に正座したのに、またまた驚かされた。ここは寄席であんたは噺家(はなしか)かい、いいえ、ここは新緑そよぐ戸外の釣り堀。おざぶに鎮座した名人は静かに竿を竿かけに置き、
ボウルで池の水をちょいと汲み、餌を練る。耳たぶの水加減がイッパツで決まるところはさすがに名人だ。一連の所作に無駄な動きはない。お茶のお作法のようではないか。練り餌の針へのつけ方、竿の振り込み方、そして肝心の浮きの見方を教えてもらう。餌がついていないとき(餌落ち=えおち)の状態の位置をまず確認することが大切だ。ヘラ鮒は優柔不断な魚で、ちょっとつついても食うとは限らない。 浮きの動きだけを頼りに水中の出来事を想像し、餌のバラケから餌落ち(えおち)までの間のカケヒキがヘラ鮒釣りなのだそうだ。 早速、浮きがひょいひょいと動く。フライで早合わせのクセがついている私はそのたびに中途半端に竿を上げては躊躇い、魚をチラしてしまうようだ。見ると名人は、思わせぶりな「つんつん、ぴょこぴょこ」の前あたりは泰然と待ち、 「くぃん」と沈む本あたりを待ってピシリと合わせ釣り上げている。せっかちなフライマンには、これがなかなか、インジケーターがクイクイ引っ込んでいるのに、じっと我慢でこらえるなんて辛抱かなわん。おっと。おぃっと。おょょっと。座ったまま、いちいち反射的に身体が反応してしまう。 「黒須さん、ヒャックリしてるんですか。」名人にたしなめられる。
そのうち名人が連発で上げ出した。さすがは300人中準優勝をエバっていただけあり、よみがえる技と勘。右手で竿を操り、目は浮きに集中したまま、左手はボウルの中で絶えず練り餌をいじり、即座に新しい餌をつける。左手の動きといったらシャリを掌(たなごろ)で転がす寿司職人そっくりだ。
その両刀使いは試合に挑む名人の姿を彷彿とさせる。野釣りでは針を二つつけ(フライのドロッパーのようなつけ方)、それぞれに違う餌をつけたりするそうだ。つまり上っ針(うわっぱり)には柔らかくバラケやすい餌を大きめに、下っ針には固めの餌をつけ、上の餌が水中でハラハラと散って撒き餌になり、魚を寄せて下の餌を食わせるという寸法。 浮きを凝視したまま、種類の違う二つの餌の玉を、常に魚の反応の変化を計算しながら左手の感覚だけで同時に作り分けるという技を、名人はやってのける。 和の釣りはその用語も美しい。水竿(みざお)。もじり(ライズリング)。ふらし(魚篭=びく)。昔から釣師が使う和語そのままなのだが、初めて耳にする風流な言葉も多い。そして職人技の粋で仕上げる竹の紋と漆も鮮やかな竿や竿かけ、手編みの玉網など、竿師(さおし)の命が通った美しい道具に魅せられ虜になる殿方も多いことだろう。 そのうち要領がわかると私も釣れ出した。ふたりでポイポイ何枚もあげる。隣のカップルや隅に陣取るじいさんよりも我々だけが釣れているのは、これはきっと、名人が密かに懐から取り出したバニラ風味の練り餌の効果に違いない。ふと妙なことに気づいた。名人に釣られたヘラは暴れない。
寄せられて玉網に掬われ、針をはずしてもらって放されるまでの間、魚はまるで催眠術にかかったかのようだ。隣で私がバチャバチャやっているのにコレはフシギ。心で何か話しかけているのかな? 名人芸には心が伴うと見た。それにしても座布団に正座して釣りしている自分は面白過ぎる。まわりにミカンや煎餅やお茶を置いて、自分だけの巣を構築したくなる。こんな釣り、世界にヘラしかないぞ。これが究極の「和」釣りというものであろうか。 と、なにやら重たい魚を引っ掛けてしまった。底の方に別種がいたのか、ゆっくり竿を立てると赤いやつがヒラヒラと姿を現したのでたまげていると「あっ、アカベラだっ!オッチャーン!」名人がにわかに小学生に戻ってすっとんきょうな声を上げた。店の奥からお爺ちゃんが顔を出し「ほい、放してよーし。」 美しい大きなヒレの赤い魚から返しのない針をはずしてやると、優雅にすべるように池に吸いこまれて行く。間もなくおばちゃんがやって来て何かをくれた。見るとサービス券と印刷した小さな紙に、赤ペンで「赤ベラ賞、2kg」と書いてくれてある。なんか嬉しい。1kg20円の割引きで、次回、私はこの券で40円もまけてもらえるのだ。 万歳。アイスに当りが出たみたいな懐かしさ。ウホホッ。こんなにのどかで良いのだろうか、ここはどこわたしはだあれ。ザバザバザバッ。どこから飛んできたのか、目の前にいきなりカモが、小さな池めざして無頓着に舞い降りてきた。見上げると都会の空が、我々の上だけ小さくぽっかりあいている。 麻布のそこだけ異次元空間のような釣り堀で、何やら味わい深いヘラ鮒釣りの不思議な魅力に浸ってみませんか。手ぶらで行って楽しめます。 ヘラ鮒つり堀 衆楽園・麻布池 03-3473-2529 雨天休業 (ただし日曜祝日は営業します) 黒須 雪子 最新のコラム: 〜 多摩川のコイをフライで釣るの巻 〜 過去のコラム: 〜 男と女の狩猟本能の巻 〜 〜 北海道はアメ時々サクラのちニジ 〜 〜 番外編「麻布のヘラで異次元体験」 〜 〜 夢のような話:オショロコマの巻 〜 〜 日本の四季折々のフライフィッシング 〜 |
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