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川のせせらぎを辿って

 〜 多摩川のコイをフライで釣るの巻 〜 

黒須雪子 (Yukiko Kurosu) について

鯉がフライで釣れるんですか?

それが釣れるのである。これが結構、面白い。どんなフライを使うかというと…。ネコにやるのはカツオブシ、コイにやるのは? そう、お麩ですね、おふ。 パンのかけらでもいいけれど、お麩。って、一体どんなフライかというと、私が使うのは、2cm くらいの白い毛糸のポンポコリン。ただ綿を丸めたポンポンのような、英国紳士風の名前のついた格調高いフライに比べるとあほみたいにシンプルなフライで ある。毛糸をグルグル巻きつけて真ん中をギュッと縛って、毛先を短くトリミングしただけ。これを鯉がお麩だと思ってぱっくり。一個あれば一日遊べる。 名前をつけるなら“A day-off”。?。なんちゃって。

多摩川には鯉釣りのおじさんが一杯座っている。エサのことはよくわからないけれど、ミミズかあるいはバクダンという団子状の練り餌などを垂らしての? んびり待っている。たまに仕掛を取っ替えたりしているが、釣れているのを見たことがない。陽だまりで、おじさんたちは、陽が暮れるまで、いつまでも 待っている。 一方、鯉さんたちは、さかんに捕食活動をしている。ネコがせわしなく毛づくろいして案外忙しい一日を送っているように、鯉さんたちは、 せっせせっせと、底をさぐったり、水面をパクパクして、これまた案外気ぜわしい暮らしのようである。あんなにパクパクしているのに、おじさんたちの餌に は見向きもしないのは、やはりあんなにデッカくなるまでには、いろいろの苦労話もあったというものであろう。見渡していると、ライズのような波紋が たっているところがある。底の苔をまさぐっている鯉さんは、頭隠して尻隠さず状態で、尻尾の先が水面でゆらゆらしているのである。これをテイリング という。が、そういう、あっちゃ向いて没頭してるヒトは、何を投げても気づいてくれないのでフライでは対象外。そうではなく、空を見上げて上流から 流れてくるものを、ひとまず口に入れてみては、「違った。」と吐き出している手合いがいたらめっけもんである。師匠がさっそく釣り上げた。寄せて メジャーで計測だけしてそのままリリース。50cmオーバー。さすがに鯉は太っていて重く、手応えがありそうだ。

川幅のあるところの真ん中から少しこちらよりで、流れてくる物を熱心に吟味しているやからがいた。少し遠いが思い切ってキャスティングしてみる。 ちょっと届かなかった。が、近くまで流れてきたとき、ちらりと反応した。視界に入ったがわざわざ見に行くのは億劫、といった鷹揚な、怠惰な動きで あった。渓流の山女魚の清廉さ、敏捷で臆病な反応とは大違いである。でも、今のは美味しそうだったのに惜しいことをした、と思ったかもしれない。

距離を読んでラインを長めにくり出して、もう一度。どんぴしゃで鼻っつらのコースに乗った。腰を入れて構える。モアッと水面に穴があいて、 白いポンポコが吸い込まれた。うそっ。焦る気持ちを呑み込んで、相手のスローな動きにあわせてゆっくりめに、しかし吐出してしまう前にぐいーっと あわせる。ズンッと潜りグイーーンと持っていかれる。やばい、こ、これはでかい!

しまった、5番の5Xだ、ムリだ、切られる。底で息を整えるように止まっていたのが、再びグウーーッと動き出した。ラインがシャーッと出だす。 思わずいつものようにラインを指で抑えようとしたら、熱っ! 走るラインで指を火傷した。鋭い傷みと指の腹にできた赤い筋に、我ながらマヌケなことを したものだと動転する。ラインはどんどん出てゆく。ギリギリギリーッとリールが派手な音を響かせる。師匠が気づいてシロウトの私が大物を引っ掛けたこと に高笑いしながら、「走らせ、走らせ!」。ひとしきり走ったところで相手の動きが止まると、今度は「巻け、巻けっ」。言われるままに慌ててリールを ぐるぐる巻くと、相手は抵抗することもなく素直に引きずられてくる。重いっ。と、相手が向きを変えたのがわかり、再び走り出す。先より更にすごい 勢いでラインがどんどん出る。力に圧倒されてロッドを支えるのがやっと。やりとりができないままバッキングまでいきそうだ。そんな体験はないから、 どうしていいかわからない。「切られる、切られる、一緒に走れ、緩めるな!」師匠の指示がとび、ワケもわからず鯉の走る方向に私も堤防の上を走り、 竿を操り、ラインに抵抗をかけながら、堤防を河原へ降りてまた走る。 「あらーっ、女の人よ」と背後で声がかかる。振り向くと堤防の上に自転車を停めた人やジョギングの人の見物人ができているではないか。ハズカシーッ。と思っても、余裕ゼロ。ロッドがかつて見たことがないほどしなっている。また動きが止まった。必死で巻く。飛んだり跳ねたり頭を振って大暴れするニジマスと違って、鯉はズルーッと抵抗感なく引きずられて近寄ってくる。ぼろ雑巾をひっかけたよう、という鯉にまつわるあまりほめられない形容とはこのことかと思う。腕が痛い。と、また性懲りもなく走り出す。全く消耗していないのか。こちらは腕が疲れてもうダメだ。泣きが入る。助けてぇ。「流心に入れるなー」ほんとだ、今度、走られたら主流に合流する。流れの下に入られたらおしまいだ。敵はさすがに棲みかを知り尽くしている。幸い瀬が目前にあった。少し強引にやりとりしてなんとか瀬まで引きずり込むと、相手がぬらりと姿を現した。でかい。やがて、顔をこちらに向けて浅瀬に安定した姿勢のまま上がってきた。山女魚などでは浅いところへくると魚体がぺたりと横になってしまうものだが、鯉さんは最後まで態勢を整えたまま、のそっと正面から上がってきた。ジョロリンと、両の口ひげを立派にたくわえた儒学者の面持ちだった。

67cm。見ると5Xのティペットはついていず、リーダーに直接お麩フライが結びつけてあった。なんだ、どうりでなんとか切られずにすんだわけだ。 時計を見て「30分」と教えてくれる。30分間も格闘していたらしい。促されて振り返ると、大きな赤い夕陽がゆらゆらと微笑みながら沈むところだった。 多摩川の河原で腹の底から大笑いした。

ところで、鯉に限っては、「目の下○○寸」などどいって、サイズを計るときには目じりからしっぽの真ん中までを計測する習慣になっているのをご存知 だろうか。なぜか。鯉はアゴをつかんで引っ張ると、口がビヨヨ?ンと、どこまでも伸びるので、思いっきり引っ張って計測する人があとをたたないらしく、 そんな釣り人の哀しいサガ、愚かな行為を未然に防ぐ叡智である。ちなみに67cmというのはその習慣を知る前の計り方。ただし鯉の口が伸びることも 知りませんでした。


黒須 雪子




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