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私がフライフィッシングをやめた訳 

 〜 玉置浩一 (Tamaki Kouichi) 〜 

玉置浩一 (Tamaki Kouichi)について 玉置浩一フィッシング

東京の南西部、多摩市と日野市の境目あたりに「大栗川」という小さなストリームがある。小学校の二年生か三年生の頃の話なので、今ではもはや釣りの対象となる川ではないだろうし、そもそもそんな川がまだ存在しているのかどうかもわからないが、私は「あんま釣り」というユニークな釣法で、二十数センチという大きな「おいかわ」を釣り上げた。虹色に輝く魚体と、オスの特徴でもある大きな尻鰭を今でも忘れられないが、近所のおじさんに連れていってもらった釣行で、私がはじめて釣った魚だった。

以来私は釣りと魚の虜になり、海といわず川といわず、多くの釣りに親しんできた。いわゆる典型的な釣りキチで、今流にいえば「おたく」の仲間に入るのかも知れないが、学校の勉強などそっちのけで釣りの本ばかりを読みあさった。釣り方や仕掛けなど、中学に入る頃の釣りの知識は大人顔負けだったと自負しているのだが、魚の名前や生態にも興味が及び、水族館巡りが何よりも好きだった。

私がフライフィッシングをはじめたのは中学二年の時だったと思うのだが、まだ日本にフライフィッシングが紹介されて間がなく、フライフィッシングに関する情報もまだまだ希薄な時代だった。子供の私では満足な道具を揃えることもできなかったし、釣行に出掛ける資金もなかったので、近くの多摩川で小魚を相手に遊んでいたが、大人になって就職した会社の同僚が、たまたまフライフィッシングフリークだったこともあり、それからは他の釣りには目もくれず、毎週必ずどこかの水面にフライロッドを振っていた。                  

毎週金曜日はタイイングキットを会社に持ってきて、相棒と議論を交わしながら夜中までフライを巻き、そのまま現場に直行するのが常だったが、本栖湖のブラウンにハマッた頃は、土日だろうが平日だろうが構わず通った。夜明け前から朝8時頃までフライロッドをを振り続け、その足で会社に直行するのだが、眠気と疲れで中央高速を飛ばすため、何度死にそうになったかわからない。

キャンピングカー今思えば、その当時が日本に於ける第一期のフライフィッシングブームだったと思うのだが、ヘビーデューティーやアウトドアライフなどという言葉がもてはやされ、様々な釣りを経験してきた私にとっても、フライフィッシングこそが最も高尚かつ究極の釣りだと思いこみ、今は亡き芦澤さんなどの影響を強く受け、ヘミングウェイや開高健を崇拝し、これこそ男のスポーツに違いないと信じていた。

その後も私のフライ熱はとどまるところを知らなかった。私は会社を辞め、家財道具を売り払ってカネに換え、フライフィッシング三昧の旅をするためにアメリカに渡った。26歳の時だった。サンフランシスコの釣り道具屋でキャンプ用品やフライフィッシングの道具を買い揃え、ポンコツのワゴンを一台買って旅に出た。カネを使い果たすまでの半年間、ヨセミテからオレゴンへ、モンタナからワイオミングへと、私はひたすらトラウトを追いかけた。

私がフライフィッシングをやめてからもう20年にもなるが、それほどのキチガイがどうしてフライフィッシングを止めてしまったのか、自分でも驚いたくらいだし、実はいまでもまだ道具は持っている。アメリカから帰って結婚して、仕事に追われる日々が続いたことも原因のひとつだったに違いない。またアメリカのワイルドトラウトの野性味あふれるファイトを堪能した私が、日本のフィールドに満足しなくなってしまった事もあるが、実はフライフィッシングそのものに興味が薄れていったのだと思う。ワイルドトラウトに固執した為だったのかどうか当時の私には明確にすることができなかったが、時を隔てて考えるうちに、それが次第に明らかになっていった。


フリーストーンストリーム私がフライフィッシングに対して抱いたある疑問はその精神だった。多くのフライマンが信じて疑わなかったキャッチアンドリリースの精神や、本物のエサではなく、疑似餌を使うことが高尚だとするフライの精神だった。この精神や考え方に私が両手放しで賛成できない所があった。

かくして私はフライフィッシングから次第に遠ざかっていったのあるが、それからの私は何故か自由だった。フライフィッシングからの呪縛から解放されることで、昔のように心から楽しめる釣りができた。

黒鯛やシーバスや鰹などを追い回し、10年ほど前からいよいよ鮎に挑戦した。友釣りだ。正直な話、鮎の友釣りがこれほどスリリングでアグレッシブな釣りだとは思いもよらなかった。これこそゲームフィッシングの王者に違いないと思った。むかし芦ノ湖の解禁に心を躍らせたように、毎年夏になるのが楽しみで仕方なかった。本来の釣りキチ魂が、まさに水を得た魚のごとく躍動した。しかしそんな楽しみも長続きはしなかった。

いま私たちは愛する一匹のラブラドールと暮らしている。彼はもう9歳になるのだが、子供のいない私たち夫婦にとって、人からバカ親といわれるほどの溺愛ぶりだ。名前はアーサー。争いごとを好まない分別くさい犬だ。

そのアーサーを育てる過程に於いて、また彼と暮らす日々の生活の中で、私は釣りという人間の遊びについて再び考え直さなければならなくなったのである。それは恐らく動物を飼うことによって、自分の立場から見る動物ではなく、動物の立場から見る人間を考えるようになったからだろうと思うのであるが、犬という高等動物なら当然のことではあるのだが、彼らには彼らの立場があり、考えがあることを知ったからである。

犬に考えがあるのなら、魚にもそれはあるはずだ。魚たちにも立場があり考えというのがあるとしたら、彼らの考えにも耳を傾けなければならないと、アーサーのいたいけな眼を見るにつけ考えるようになったのである。かくして私はフライフィッシングをやめたばかりではなく、あれほど好きだった釣りから足を洗うことになった。今後しばらくは竿を持つことはないだろうと考えているが、所詮は我が儘な人間のことだ。いつの日かまた気が変わって、やはりフライフィッシングは趣味の王道だなどと言い出さないとも限らない。だから私は自分の友人にも、どうして私が釣りをやめてしまったのか、今まで長い間そのわけを話さなかったである。






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